クマ子の卒母DIARY

卒母…ちょっと寂しいけれど、明るく楽しく毎日を綴ります

深い悲しみを前に、ただただ伝えたいこと

突然の話なのですが、友人の娘さんが亡くなりました。

今日は、彼女の深い深い悲しみに接して、感じたことを綴ってみたいと思います。

 

    深い悲しみ

 

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かれこれ20年来の親友から、ある日LINEのメッセージが届いた。

時々、やり取りはするものの、コロナ禍で、お互い会うのは控えている最中だったので、何だろうと思った。

けれど、メッセージはただ一言「私は今、ものすごく落ち込んでいます」。

 

「どうしたの?」と送り返したら、すぐに電話がかかってきた。

「娘が亡くなったの」と…。

 

私の友人(仮にKさんと表記します)は、私の1歳年下で、バツイチで子どもが3人いた。

亡くなったのは、末っ子の娘さん(仮にSちゃんと表記します)で29歳。

とても綺麗な女の子で、活発で明るい子だった。

私の息子のヤギ太が小さい時に、よく相手もしてくれた。

 

ここではもう、深い事情は書かないけれど、Sちゃんは鬱病を発症していた。

その治療のための精神安定剤の過剰摂取により、薬中毒となり、しょっちゅう問題を起こしていたらしい。

そして、それが原因でもあり、離婚に至り、バツ2(子どもが2人)となっていた。

Kさんは、そんな娘を相手に、何とか立ち直らせようと必死だった。

孫のことも、本当にかわいがっていた。

 

それでも、よく私に「孫はかわいいけれど、自分の子どもはもっとかわいい」と言っていた。

 

私の息子のヤギ太は、自分のやりたいことをして自由に生きているので、私は、まだまだ孫の顔は見れそうにはない身だが、その気持ちは何となくわかる気がする。

 

深い悲しみ

そんなに愛していた娘だったのに、息子たちを残して旅立ってしまった。

SちゃんのスマホのLINEの履歴からは「私がいなくなっても、息子たちの面倒は、お母さんがちゃんと見てくれるから大丈夫❕」と書かれた友達とのやり取りが、後で見つかったらしい。

母への満幅の信頼をもとに、Sちゃんは、この世界の苦痛から解放されたのだろう。

 

Kさんは、そんな状況でも前を向こうと必死だった。

残された2人の孫を引き取り、もう一度子育てをするために。

 

そんな彼女を見ていたら頭が下がる。

でも、無理をしているのだと思った。

娘を失って、大丈夫なわけがない。

 

状況が状況だったので、コロナ禍にもかかわらず、翌日Kさんに会った。

彼女の話をいろいろと聞き、最後に抱き合って一緒に泣いた。

 

何の助けもしてあげられない、

ただ、彼女の話を聞くことしか出来ない、ちっぽけな自分。

 

けれど、Kさんが言った言葉が忘れられない。

「親より先に死んだらあかん」と…。

その言葉は、本当に重い。

 

そしてまた一方で、生きていることは尊いな…とも、しみじみと感じた。

そんな梅雨のある日。

深い悲しみ

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今回は、とても重い話題になってしまいました。

でも、どうしても書き留めておきたくて…。

 

私自身は幸いにも、今までそれほど身近な人の不幸を体験せずにきたし、両親も弟一家も息子も、健康でありがたいことだと思っていました。

けれど現在、父にガンの疑いがあり、検査中です(おそらく、命にかかわることはない…と母は言っていますが)。

 

そんなこともあり、今回のこともあり、人の命についてや、生きていることについて考えてしまう今日この頃です。

深い悲しみ

生きていると、時には、理由のわからない理不尽な出来事に出会います。

そのたびに、心が押しつぶされそうになり、悲しさや悔しさで我を忘れてしまうこともあります。

それでも、人は生きていく。

 

それぞれの精一杯…がたくさん積み重なって、この世界が形成されていることを改めて感じています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>

※文中の写真については、全て私が撮影したものであり、本文とは関係ありません。