クマ子の卒母DIARY

卒母…ちょっと寂しいけれど、明るく楽しく毎日を綴ります

明智光秀の足跡を探して・坂本のゆかりの地めぐり

前回の記事では、滋賀県での「麒麟がくる博覧会」として開催されている、西教寺に行った時のことを書かせていただきました☟ 

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今回は、大津市坂本周辺で、その他の「光秀ゆかりの地」を巡ってみた時のことをご紹介させていただきたいと思います(*'▽')

 

  

「坂本城址公園」

琵琶湖の水上に、天守がそびえる豪壮なお城だった坂本城

当時、織田信長の安土城に次ぐ、名城と言われていました。

 

また、坂本城と安土城の間は、琵琶湖を渡る船で行き来できたそうです。

信長に呼ばれた時は、光秀は船で向かっていたのかな~とか、想像するとちょっと楽しい( *´艸`)

坂本城址公園

坂本城址公園の明智光秀像

 

現在「坂本城址公園」は琵琶湖沿いにあり、光秀像が建っています。

今まで持っているイメージとは、少し、表情が違うように思いました(ま、私の今抱いているイメージは長谷川光秀なんですが・笑)。

坂本城址公園

坂本城の復元予想図

 

琵琶湖のほとりにあるので、看板にある復元図を見ながらここに立つと、在りし日の坂本城を偲ぶことができます。

 

ただ…

私が行った時は、なぜか、演歌が延々と流れていたんですよね…(;´・ω・)

他の方が書かれている記事を読ませていただくと、全く何も聴こえてこない時間帯もあるようなのですが…

余談ですが、私は昔、三方五湖に行った時に流れていた、五木ひろしの歌を思い出しました( ̄▽ ̄;)…今ハドウナッテイルカ知ラナイケレド

坂本城址公園

秋の坂本城址公園

 

「坂本城址の碑」

豪壮なお城で知られた坂本城ですが、現代では見るべき遺構がほとんど残っていません💦

 

この碑がある場所は坂本城跡の推定地だそうですが、それにしても住宅街の中ですね。

お隣のお家の方、大変だなぁ…と思いました(;・∀・)💧

坂本城址の碑

坂本城址の碑


ちなみに、こちらの碑が建った後、1994年に琵琶湖の水位が下がった時に、坂本城の石垣が発見されて、本丸の位置が判明したそうです。

 

「明智塚」

この「明智塚」は、場所を探すのにけっこう苦労しました。

県道558号から少し入ったところにあり、なかなか見つけづらいのでお気をつけください💦

明智塚

明智塚 民家の敷地内にある

 

ここも、明智光秀が築いた坂本城の城内と推定されるところです。

 

この塚の由来については、光秀秘蔵の愛刀「郷義弘」(ごうのよしひろ)の脇差を、坂本城落城に際して、娘婿の左馬之介秀満が埋めたところである…という説をはじめとして、明智一族の墓であるなど、さまざまな説が残されています。

 

光秀は、「本能寺の変」のわずか11日後の「山崎の合戦」で羽柴秀吉に敗れ、坂本へ逃げる途中、京都の小栗栖で土民に殺されたと伝わっています。

 

それを知った光秀の娘婿・明智左馬之介秀満は、安土城から坂本城に入りましたが、すでに秀吉軍は大津を押さえ、坂本城を完全に包囲していました。

秀満は、明智一族の者たちを手にかけた後、天主に運び込んだ火薬に火を付け、坂本城と運命をともにしました。

明智塚

花が供えられている明智塚

 

この塚は明智一族の悲運もあってか、さわるとたたりがあると言われ、壊されることもなく現在に至っています。

毎年、光秀の命日の翌日と、坂本城落城の6月14日には、所有されている方の手でねんごろな法要が行われているそうです。

 

「明智左馬之助湖水渡りの碑 」

さて、その明智左馬之助ですが、前述した通り、6月13日に山崎の戦いにて、主君明智光秀が敗走中に死去したことを知り、占領していた安土城から坂本城へ向かう途中、豊臣秀吉配下の堀秀政の軍勢に囲まれました。

明智左馬之助湖水渡りの碑

明智左馬之助湖水渡りの碑

 

その際、なんと左馬之助は乗っていた馬と共に琵琶湖を泳いで渡り、無事、6月14日未明に、坂本城にたどり着いたという言い伝えが残されています。

明智左馬之助湖水渡りの碑

その時の日付も刻まれている

 

しかし、ここは滋賀県県庁にもほど近い場所にあり、泳いで渡るには坂本は遠い…💧

明智左馬之助湖水渡りの碑

坂本方面を望む

 

訪れたこの日、天候が悪かったのも相まって、よりいっそう遠く感じました。

 

「聖衆来迎寺」

「聖衆来迎寺」の表門は、坂本城の門を移築したと言われています。

聖衆来迎寺

表門 重要文化財

 

その他にも見どころの多いお寺で、本堂も重要文化財なのですが…

聖衆来迎寺

本堂 重要文化財

 

建物周囲の縁が、木造ではなく石づくりになっていて、驚きました(゚∀゚)

中の仏像も、重要文化財に指定されているらしく、予約をしていけば、見せていただけるそうです。

 

また、ここの境内には、あの有名な森蘭丸の父である「森可成」のお墓があります。

森可成は、勇猛な武将で知られ、宇佐山城の戦いで討ち死にした際は、織田信長はその死を惜しんだと伝わっています。

聖衆来迎寺

森可成の墓

 

また一説では、森蘭丸のことをとても気に入っていた織田信長が、比叡山焼き討ちの際、森可成の墓があるこの「聖衆来迎寺」は、焼かないよう命じたと言われていて、その為かこのお寺は、延焼を免れたそうです。

 

「大津市歴史博物館 」

来訪日があいにくの雨となってしまい、霧が出て視界が悪かったので、比叡山延暦寺に行くのを諦め、大津市歴史博物館に立ち寄りました。

常設展示室で開催されていた「明智光秀と戦国時代の大津」という企画展が、興味深い展示がたくさんあり、とてもよかったです。

 

また、常設の展示の、飛鳥時代の大津京の時代や古墳時代の部分も、とても楽しめました♬

ここは、歴史好きの方にはぜひおすすめしたいです✨

 

《大津市歴史博物館・見学案内》

〒520-0037 滋賀県大津市御陵町2-2

電話番号 077-521-2100 

休館日 月曜日(祝日の場合は翌日が休館・祝日の翌日ただし土日は開館・年末年始       12月27日~1月5日・館内点検6月8日~11日)

時間 9時~17時(展示室への入場は16時半まで)

料金 大人330円 高校生大学生240円 小中学生160円

駐車場 70台 無料

「大津市歴史博物館」についてはコチラ

・京阪電鉄石山坂本線「大津市役所前」下車徒歩約5分

・JR湖西線「大津京駅」下車徒歩約15分

 

 

まとめ

さて、大河ドラマの「麒麟がくる」は、放送もあと残り2回…クライマックスを迎えていますね。

本能寺の変が最終回…ということは、坂本城落城まで描かれることはないかもしれません。

ひょっとして、京都の小栗栖のシーンで終了⁈💦

 

コロナで撮影が中断になり出演者のスケジュールが合わなくなったり、話数が減って、尺が足りなくなっていてそうで…。

いろいろなアクシデントに見舞われつつも、あと2回…登場人物たちの生きざまを、最後まで、しかと見届けたいと思います。

 

それにしても、最近のストーリー、十兵衛へのノッブの失恋物語みたいになっとる(;^ω^)

ちょっと、見てて切ないです( ̄▽ ̄;)…

 

最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m