クマ子の卒母DIARY

卒母…ちょっと寂しいけれど、明るく楽しく毎日を綴ります

桜の開花が早くなると思い出す 息子の旅立ち

一人息子のヤギ太は、2年前の春に卒業→就職し、会社の寮へと旅立っていきました。

 

その2018年の春も、桜の開花が早く、ヤギ太の卒業式だった3月19日には、すでに咲いている桜もあり…☟

息子の旅立ち

大和郡山城跡に建つ多聞櫓と桜

 

そして、この年の3月27日には、近所の桜はもう満開☟

    息子の旅立ち

 

今年、2020年も同じくらいのペースで、桜の見頃を迎えそうな気配が漂ってきています🌸

 

2年前、ヤギ太が会社の寮へと向かった3月31日には、もう桜は散り始めていました。

ここまで無事に育ってくれた喜びと、もう、一つ屋根の下に住むことはなくなる寂しさとが混ざった複雑な心境の中、桜吹雪が舞い降りてきていたのを、今でも思い出します。

 

そんな、2年前と同じような春を迎え、柄にもなく少し、センチメンタルな気持ちになっています(T_T)

 

光さんのブログを読んで、アガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」という、素敵な本のタイトルを思い出したのも、一因かもしれません☟

www.mitsu-note.com

 

そこで、今回は珍しく(笑)「クマ子の卒母DIARY」というブログタイトルに沿って、 卒母して2年が経った心境を、サラッと綴ってみたいと思います(*ノωノ)

息子の旅立ち

ヤギ太が後輩からもらったお花 その①

 

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私は小さい頃、20歳になれば、自動的に大人になるのだと思っていた。

自動的に…というのは、身体的なものだけでなく、精神的にも…である。

つまり、20歳の誕生日になれば自動的に、大人の心構えができ、大人の振舞いができ、大人の知識がつくのだと思っていた💦

けれども、20歳の誕生日を迎えても、私は私、何一つ変わらなかった…

 

小さい頃は、子どもが産まれたら女性は皆、自動的に母親になるのだと思っていた。

十月十日を経て、出産すれば、母親としての心構えができ、母親の振舞いができ、母親の知識がつくのだと思っていた。

けれども、産まれてきたヤギ太を見て、感激し喜びに浸ることはできても、母親としての私は、何もできず、未熟なままだった。

 

20歳になったり、親になったり…

そういう時間的な変化があっても、自分の中身は何も変わらない。

でも「もう大人だから…」とか「もう社会人だから…」とか「もう母親なんだから…」とか、そういうふうに言われたり、世間の目があったりする中で、必死で変わる努力をする。

 

私の心の中には、いまだ「小さいクマ子」がいて、「こんなことできないよ~もう無理だよ~」と泣きそうになりながら、そして戸惑いながらも一生懸命、その役柄ができるように頑張るしかなかった。

そうやっていくうちに、何となくいつの間にか、「大人」らしく「社会人」らしく「母親」らしくなっていく。

 

きっと、自分だけでなく、みんなそう。

みんな、苦しみもがきながら、大人になるフリをする。

そうしているうちに、フリが板につきだし、何となく、そう何となく、みんな大人になっていく。

 

でも、今でも、私の心の奥には「小さいクマ子」が住んでいる。

その子が傷つくと、大きいクマ子も傷つくし、その子が悲しむと、大きいクマ子も悲しい。

息子の旅立ち

ヤギ太が後輩からもらったお花 その②

子どもが育ち、巣立っていく…その時には、親として自動的に、子離れができるようになるものだと思っていた。

でも、そんなふうには、まったくなれなかった。

ヤギ太の内定が決まったのは6月の始めだったから、出ていくまでは10ヶ月近くあった。

それだけあれば、心の準備ができると思っていた。

 

けれど、そんな日は来ないのだ。

自分自身で、区切りをつけない限り。

20歳になった時、母親になった時、私はそれを学んだはずだった。

 

ヤギ太と離れることを命じられた、私の心の中の「小さいクマ子」は、ずっと泣いていた。

別れが辛くて、悲しくて、泣いていた。

最後のひと月は、しょっちゅう泣いていた。

あんまりにも、小さいクマ子が泣くので、大きいクマ子も、一人の時に泣いていた。

 

でも、そんなのは当たり前なのだ。

20年間、自分自身より大切に思い、育ててきたのだもの。

寂しいに決まっている。

 

それでも、別れの日は来るのだ。

自分もそうやって育ててもらったのだから。

 

「小さいクマ子」は、泣いて泣いて泣き疲れ、そのおかげでやっと、「大きいクマ子」が、平静を装って、ヤギ太を見送ることができた。

その晩は、「小さいクマ子」と「大きいクマ子」は、手を取り合って、おいおい泣いた。

 

4月になっても「小さいクマ子」は、まだ泣いていた。

それでも少しずつ、笑顔の時間が増えていった。

 

離れたけれども、母親の役割は死ぬまで終わらない。

だから、いつまでも泣いていられないことに、気づいたから。

 

きっと自分の親も、同じ思いを経験したのに、何食わぬ顔で送り出してくれた。

そして、世の中の人たちもみんなそう。

自分の中の「小さな女の子」や「小さな男の子」を、胸に抱きながら、何食わぬ顔で必死に生きているのだ。

 

そう思うと、この世界のすべてが愛おしい。

そんなことに気づかせてくれた、ヤギ太の旅立ち。

息子の旅立ち

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今年の桜の咲き方が、2年前の春と、少し似通っているので、こういうエッセイを書きたい心境になりました。

 

同じように、間もなく(あるいは既に)、息子さんや娘さんが新天地に旅立っていかれる親御さん達は、まるで、片腕をもがれるような寂しさを感じつつも、無事育ってくれたことに感謝し、笑顔で送り出されているのでしょう。

 

私自身も、今でも、当時のことを思い出すと泣けてきます。

 

小さい時は、毎日一緒にいて、何から何まで面倒を見なければいけない・親としての責任もある中で「早く大人になってくれたらいいのに…」と思ったことも、多々ありました。

でも今では、子どもって、神様から20年間(人によって期間は違うと思いますが)限定で預からせてもらった宝物で、時が来たら、自分の手からお返ししなければならない…それが「子離れ」である…そんなイメージを抱いています。

 

今、私の中の「小さいクマ子」は、大切な宝物の思い出を胸に抱いて、毎日を過ごしてくれています。

その思い出があるから、私は今日も頑張れる✨

 

やっぱり子育ては「自分育て」「親育て」ですね(*'▽')

 

ヤギ太を見送った時のことを、泣きながら書いた記事はコチラ☟ 

www.xkumaco.com

これを読んだ、私のリアルの友達(ブログのことを知っているのは2人だけ)が「号泣したよ~」と言ってくれました(*ノωノ)チョット嬉シイ

 

春は、別れの季節ですが、出会いの季節でもあります!

新入社員さん&新入生のみなさんに、いいことがいっぱいありますように…✨

 

最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>