ヤギ太(息子)は、国立の高等専門学校に進学した。
最終学年の5年生の5月初めまで、進学か就職か迷って、周囲をさんざんヤキモキさせたのち、ゴールデンウイーク明けに就職を決断し、6月半ばに内定を頂くことが出来た。
その時点で、2018年4月から会社の寮で生活することは決まっていた。
自宅から会社まで、片道約2時間。
通えなくはないが、通いたくない距離だ。
何より、お互いに親離れ・子離れする機会だとも思った。
男の子だし。
さすがに、シングルマザーだったから、マザコンの風味を漂わせているし(苦笑)。
なので、寂しいとは思ったが、離れるのは仕方ないと思った。
むしろ、ヤギ太が無事成人し、ちゃんと社会に出る姿を見れる自分は、何て恵まれているんだろうと思った。
何より、4月まであと9ケ月以上あるし。
自分自身、心の準備ができるだろうと思っていた。
それから…
夏の暑い日、来年の夏にはヤギ太はもう、この家の住人ではないんだ…とせつなくなった。
秋になり、翌年のカレンダーを目にすると、4月のページの頃には、ヤギ太はこの家から出ていってしまうんだ、と悲しくなった。
3月の始めに、母と三人でヤギ太との最後の1泊2日の旅行に行った。
すごく楽しかったのに、2日目の朝くらいから、時間が止まってほしいと願った。
………そして心の準備は、見事に出来なかった…。
その日は、あっという間にやってきた。
2018年4月1日の日曜日。
もう、荷物の大半は、寮に送り終わっていたので、手荷物のリュックサックを持って「行ってきます」と、私の目を見て言ったヤギ太の後ろ姿を、駅のホームをいつまでも眺めていた。
ヤギ太を送った帰り道、涙が止まらなくなった。
私が買い忘れたモノを「今から買いに行ってくるよ」と言ってくれたり、
残業で遅くなった時は、洗濯物をたたんでいてくれたり、
私がインフルエンザで寝込んだ時は、ぞうすいを作ってくれたりした。
ヤギ太が私の誕生日に、買ってきてくれたケーキが、自転車の前カゴの中でシェイクされて、ぐちゃぐちゃになってしまったのを見て、一緒に笑ったこともあった。
そんなことばっかり思い出す。
就職することが決まった時から、覚悟はしていたつもりだ。
突然ではなく、ちゃんと9ケ月の猶予期間もあった。
でも、
いったいどれくらいの時間を与えてもらえたら、納得できるんだろう。
だって、20年間毎日一緒にいたのに。
子育てという、あまりの責任の重さに耐えかねて、投げ出してしまいたくなった時もあったけど。
一生懸命、ヤギ太のことを考えても、何も伝わっていなくてケンカもしたけど。
それでも、ヤギ太との毎日は、いつも私を、世界で一番幸せなお母さんにしてくれた。
なのに、
もう毎日、お弁当を作ってあげれない。
ご飯も作らなくていい。
その事実に、打ちのめされる。
わかっていたはずなのに。
もう大人になったんだから、子離れしなきゃ。
もうご飯の段取りしなくていいから、楽になるよ。
頑張って子育てしたんだから、これからは自分のやりたいことが出来るやん。
みんなそう言ってくれる。
わかっている。
それは正しい。
そうするべきだ。
みんなそうやって子育てしてきた。
でも、
理解ができても、心がついていかないんです。
20年間、母親をしてきたのに、ある日を境に、見事に子離れを成し遂げるなんて、私には無理です。
悲しくて、寂しくて、せつないです。
ヤギ太は時折、ちゃんと帰ってきてくれるし、時々LINEで連絡もくれる。
でももう、この家の住人ではない。
ヤギ太の部屋がヤギ太の抜け殻みたいに見える。
もう、普段使いされることのない、ヤギ太のお茶碗やマグカップを見ると悲しい。
いつもヤギ太がやってくれていたゴミ出しや水やりを自分でやる。
そうやって思い出しては、時々人知れず、涙を流す。
私の心の中の4歳のヤギ太が、涙でかすんでゆく。
けれど一方で、私の生活にゆとりが出来たのは間違いなく…
通っていたエクササイズも行く回数も増え、友達と出かける機会も増え、
今までやりたかった勉強にもチャレンジし…。
少しずつ、悲しいことを考える時間が減ってきた頃。
2019年6月。
TOEICで、そこそこいい点取れたよ、お母さん、ブログを始めたよ~
って、ヤギ太に報告したら。
「お母さん、すごいやん、頑張ってるやん」と言ってくれた。
そしたら、涙でかすんでいた私の心の中の4歳のヤギ太が、にっこり笑った。
そうか、私が幸せって思ったら、ヤギ太も喜んでくれるんだ。
ヤギ太の幸せが、私の喜びと同じように。
だって、離れて暮らしていても、私たちは一生、親子だもの。
まだまだ、涙もろいけれど。
クマ子はちょっとだけ、大人になった。
※子どもが無事成人し、一人前になった姿を目にすることが出来る…
およそ、世の中の親にとって、こんなに嬉しいことはないと思います。
けれど同時に、今までの日々との決別は、寂しさも伴います。
みんなが通る道…だと理解していますが、精神面での環境の変化は、辛いものがありました。
卒母への道は厳しい…。
また、自分の両親も、こういう想いを乗り越えてきたんだなぁ…と、感謝の想いも湧いてきています。
☆もう一つ、ブログやっています(「クマ子の奈良歩き」最新記事)☟
最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>