クマ子の卒母DIARY

卒母…ちょっと寂しいけれど、明るく楽しく毎日を綴ります

子育ては続くよ、どこまでも?

今まで、私の別ブログ「クマ子の奈良歩き」と合わせると、3記事を使って、母との沖縄旅行のことを綴らせていただきました。

 

一つ目・今回の沖縄旅行のメイン目的地by「クマ子の奈良歩き」

www.norikuma2.com

 

二つ目・母の第一希望目的地by当ブログ☟ 

www.xkumaco.com

 

三つ目・クマ子の第一希望目的地by「クマ子の奈良歩き」

www.norikuma2.com

 

最後に、母との珍道中&子育てに対するエッセイで締めくくらせていただこうと思います(;^ω^)

よろしければ、ぜひお付き合いくださいませ<(_ _)>

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もうすぐ喜寿を迎える母が、私を沖縄旅行に誘ってきたのは、1月上旬のこと。

私は、間近に迫った「奈良まほろばソムリエ検定奈良通一級」の受験に向けて、また、そのうちこの件に関してもブログにアップすると思うが、もう一つの試験を受けていて、本当にワタワタしていた時期だった。

しかも、10月までなら、私は失業給付受給期間だったから時間は充分にあった☟ 

www.xkumaco.com

 

なぜ、私が、仕事を始めてから言う…。

タイミング悪っ(--〆)!

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しかし、主目的が祖父の慰霊であるし、私もいつか行きたいと思っていたし、この時期が安いことも知っていたので、とりあえずOKした。

ただし、泣きそうなくらい切羽詰まっていたから、予約は母に一任した。

だから、その内容について文句を言うつもりはない。

というか、言う権利がない。

 

 

…でも、心の中で呟くのは、自由だろう。

なぜ母は、この部屋を予約したのだろうか…。

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………。

私は、ホテルにチェックインして部屋に案内された時、我が目を疑った。

わが相方、らいおんちゃんにLINEしたら「ええ年して、オカンと添い寝かい!」と、驚かれた。

当の母は、涼しい顔をしてベッドで寝た。

 

 

さて旅行当日、爆弾でも入っているのかと思うような大きな荷物で登場した母(ちなみに3泊4日・私はリュック一つだった)は、開口一番「買ったガイドブック忘れた!」と言った。

一ヶ月くらい、沖縄で暮らせそうなくらいの荷物の中に、必要なものは入っていない…。

 

私の母は、勤めていた会社を早期定年退職してから、退職金を全部使うかのごとく、海外・国内問わず、旅行に行きまくっている。

若い頃、とても苦労した母のことだから、私も弟もそして父も、それに対しては何も言うことはない。

ただ、それだけ行っているのだから、私よりは旅行慣れしていると思っていた。

 

なのに、伊丹空港での保安検査の際、貨物室預け荷物・手荷物ともに、見事に引っかかっていた。

貨物室預けのスーツケースの方は、モバイルバッテリーが入っていたことが原因、これはまだしも…

手荷物の方は、なんと水が入ったペットボトルだった…。

これは、持込みNGになってから久しいはず。

母いわく「忘れてた」…らしい。


その後、連泊しての最終日の前夜、母は、荷物をまとめ終わるのがやたらと早く、なかなか終わらない私をドヤ顔で見ていたので、余裕なのだと思っていたら…。

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帰りの便の荷物検査の列に並んでいる時「しまった!スーツケースの中に、モバイルバッテリー入れてもた!」と騒ぎ出した。

不幸にも、列はわりとスムーズに進んでいっている。

自分の番までになんとか、バッテリーを出してしまおうとした母が、前に進みながら、二度と閉まらないのではないかと思うくらいパンパンに詰め込んだスーツケースをちょっとだけ開き、バッテリーを探す。

私は、母の手荷物を持ち、迷惑をかける前後の人たちに愛想を振りまきながら、援護するしかなかった。

無様な恰好で前に進みつつ、何とか自分の番までに探し終え、奇跡のようにスーツケースの蓋を閉じることができたが、本当に疲れた。

母のドヤ顔は危険だと、この時、胸に刻んだ。

 

 

今回の旅ではというか、飛行機に乗る度に、保安検査が厳しくなっているように感じているけれど(楽器の箱に入って国外逃亡したアノ人のせいかしら?)、行きの便の時の伊丹空港では、履いていた靴まで脱がされた上、トレイに乗せられカメラ検査行きになった。

これが帰りの便の那覇空港では、全員ではなく、一部の人だけだった。

そして、母は大丈夫だったが、私は靴を脱ぐように言われた。

他の人たちを見てみると、どうやら、スニーカーは止められるらしい(スニーカーにブツを詰めた人がいた?)。

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靴を脱いで待っていたら、何だか視線を感じる。

…母だった。

ドヤ顔で、こっちを見ている。

別にスニーカーを止められただけで、私が持ち込んではいけないものを持っていたわけでもないのに…。

 

 

けれど、母の気持ちは何となくわかる。

親は、子どもに対しては、ちょっとだけ上に立ちたい。

だって親だもの。

そんな簡単に、子どもに先に行かれるわけにはいかない。

私も、ヤギ太(息子)に対しては、そうだ。

 

 

しかしながら今回は、母と娘の立場が逆転していることがよくあった。

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飛行機の席をネットで予約する時、行きの便しか窓際の席が空いていなかった。

なので、行きの飛行機に乗る時、母に窓際を勧めた。

それは、確率からして、この先も飛行機に乗る回数が、私よりは少ないであろう母への気持ちだった。

母は、あっけなく素直に、窓際に座った。

私は、母が空からの景色を楽しんでくれればそれでいいと思っていた。

………

母は、寝た…。

もちろん前の日の疲れもあるだろうし、席に座ったからといって、飛行機はすぐには動かないし、それまでうたた寝する人はけっこういる。

でも、飛行機が動き出すと、かなりの振動がするし、加速して空に上がりGがかかると、だいたい目が覚める。

実際、飛行機が滑走路をゆっくりと動き出した時、母はうっすらと目を開けた。

ああよかった、これで母も起きて景色を見るだろう…と思った。

………

母は、すぐに目を閉じて寝た。

そして、そのまま30分ほど、目を覚まさなかった。

 

私は思った。

寝るなら、席を替わってくれ、と。

 

私は、本当は窓際に座りたかったのである。

久しぶりに国内線に乗れたのだから、たまパパさんが、よくブログに上げておられるような写真を撮りたかった…☟

www.waypoints.blue

 

その後、ドリンクのサービスをCAさんから受け、そろそろ着陸態勢に入る頃…母は、また眠りに入った。

わたしは思った。

寝るなら…(以下省略)。

 

 

また、今回は移動のためレンタカーを借りたのだが、いつも運転したがる母が、今回はハナから助手席に座っていた。

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そして、沖縄でごはんを食べる時に「実は、沖縄料理、苦手やねん」とカミングアウトされた。

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今まで、好き嫌いを口にすることはあったものの、出されたものは頑張って食べていたのに、残す残す残す…。

私は、沖縄料理が大好きで、実際に行ったら現地でいろいろ食べてみたいと思っていた。

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でも、残飯処理やら何やらで、いろんな種類を食べることは無理だった…。

まるで、小さい時のヤギ太を連れて行ってるみたい(苦笑)。

 

 

そんな母が、唯一お気に召したのが、とあるスーパーのフードコートで食べた「沖縄ぜんざい」

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黒糖がかかっていて、入っている甘納豆との甘さのバランスが絶妙だった。

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私はその後、沖縄ぜんざいを目にするたびに「食べる?」と聞いていた。

ほんまに、小さいヤギ太との旅行みたいになってきた(笑)。

 

その後も、私が食べようとするものと同じものを注文する☟

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沖縄といえば…ブルーシール♪

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紅芋ソフトクリーム

以前は、私と違うものを注文していたことが多かった。

 

そして、私の後をピョコピョコついて歩いてくる。

以前はわりと、単独行動が多い人だったのに。

その時、思った。

もしかしたら、親子関係逆転し出してる?

やっと、母に頼ってもらえるような人間になれてきた?

 

母は、ただただマウントを取るのに疲れてきただけなのかもしれない。

でも、この時私は、確かに親子関係が変化したのを感じた。

 

実は、私と母の関係は、そんなに上手くいっていたわけではない。

私が離婚したり、ヤギ太を預けたり、一時期、実家に帰っていたこともあって、かなりギクシャクしていた。

 

だからこの変化は、私にとって、寂しいような…でも、嬉しいような…

何とも言えない複雑な気持ちである。

 

でも、こういう日を迎えることができたのは、ヤギ太を育てた経験を経て、母の苦労もよくわかり、子どもの気持ちも親の気持ちも味わうことが出来たからなのかもしれない。

私自身の成長に、ヤギ太は欠かせない存在だ。

ただ、母の役割は、大人になるまで…と思っていたけれど…。

もう、お役御免なのかと思っていたけれど。

 

母が、私が成人後も、結婚後も離婚後も、いろんな生き方を見せてくれているおかげで、また母自身の変遷を目の前で見せていてくれるおかげで、私自身もさらに成長している。

だから、私も、成人し就職・独立したヤギ太に、自分自身が頑張る姿を見せ続けないといけないのだと思った。

どうやら、子育てには終わりがないらしい。

そう思うと、ちょっと嬉しくなった。


 

私は正直、この旅行は、元気な母と二人で行ける最後の旅行になるかも…と、心のどこかで思っていた。

けれど、旅の最後に母が「また、行こうな!」と言ってきた。

けっこうお守に疲れたな~と、その時は思ったけど。

 

 

そういえば、今帰仁城跡の屋台で、私が「タコライス」を頼んだ時「蛸はどこ?」と、私の頼んだメニューをのぞき込んできた。

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「蛸じゃなくて、タコス!」と言ったら、「ああ!」と言って、妙に納得していた。

 

はい。

天然母上とともに、喜んでまた行かせていただきますとも!

 

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生まれてから一番身近な存在だった母のことは、時には頼りにし、時には憎みあうほどケンカをし、そんなに母娘関係が上手くいっていたわけではないですが…

私もヤギ太という息子を「謎の宇宙生命体か?」と感じるほど(笑)、試行錯誤しながら育てた経験から、母もきっと同じように考えながら、私たち姉弟を育ててくれたのだと理解できるようになりました。

人間って、自分で経験しないと、本当の意味で身につかない生き物ですね。

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最後に 伊丹空港でごはん


生まれて初めてのクマ子の沖縄旅行、いろんな想いを抱く旅になりました。

 

最後に、沖縄のクマさんたちを、無事捕獲してきたことをお伝えして、初めての奈良県外レポ・沖縄シリーズを終了させていただきたいと思います☟

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最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>