※クマ子の子育て振り返りエッセイです(*''ω''*)
サラッと読めますので、立ち止まっていただけると嬉しいです(´艸`*)
ヤギ太(息子)がまだ赤ちゃんだった頃。
生まれた時から、いったん泣き出すと声の限りに叫び、相当な時間をかけて相手をしないと、いつまでも泣き続ける子だった。
そのことで悩んでいた私は、当時仲が良かったママ友に相談した。
すると「ウチは、ちょっとほっといたら、泣き疲れてすぐ泣き止むから、泣き出しても別に何もしない」…と言われたので、一度試してみたことがある。
結果…
…約2時間泣き叫び続けた…ので、私の方が折れた。
ヤギ太は、そんな無駄な?根性がある赤ちゃんだった。
そんなヤギ太の子育てに、ちょっと疲れ出していたある日。
おそらく、生後6か月くらいだったかな。
泣き出して、言うことを聞かなかったヤギ太の頬っぺたを、一回だけ叩いたことがある。
もちろん、力はめちゃめちゃ抜いてとっても軽く。
でもきっと、私の表情は阿修羅のごとく怖かったと思う。
案の定、ヤギ太は火がついたように、さらに泣きわめき出した。
その時のヤギ太の表情が、今でも忘れられない。
ただ、泣いていたわけではなかった。
信じられない、って顔をしていた。
「絶対大丈夫」って、信じていた人に裏切られたような表情をしていた。
そのヤギ太の表情は、私の心に、深く深く突き刺さった。
思わず「ごめん、ヤギ太。もう絶対叩いたりはしないから」と言って、彼を抱きしめて謝った。
すると、珍しくも泣き止んで、私の顔を見て、安心したように笑った。
私はその時、誓った。
この先、どんなことがあっても、ヤギ太に手を挙げることだけはしないと。
その誓いは、現在にいたるまで、22年間にわたって守られている。
手を挙げる代わりに、どうやったらヤギ太に私の言いたいことが伝わるか、を考え続けた、いや今も考え続けている22年間だ。
言葉で自分の想いを伝えることは、とても難しい。
特にマイナスの感情を伝える時は。
口に出した言葉で、さらに誤解を招き、深みにはまることもある。
考え抜いた言葉を発しても、全然伝わらないこともある。
それでも、どうやったら伝わるか「一生懸命考え続けること」が、大切なのだろうと今は思う。
諦めずに考え続けることで、その時はダメでも次は成功することがある。
何より、真摯な気持ちは人に伝わるものだ。
私は、そんなふうな、人として大事なことを、赤ちゃんの頃のヤギ太に教えられた。
そのことは、子育てのみならず、私の友人関係や職場の人間関係に至るまで、いい影響を与え続けていてくれている。
私がヤギ太を育てたけれど、ヤギ太も私を育ててくれてたんだ。
そして何より、私がヤギ太に手を挙げたその当時、すぐに反省できるような人間に育ててくれた両親には、感謝の気持ちしかない。
もしそれが出来ていなければ、私の人生は、今とは全く違う深い闇に包まれていることは、間違いなかっただろうと思うから…。
※この歳になっても、自分の想いを人に伝えるのは、とても苦手です。
しょーもない話なら、いくらでも喋るんですけど…。
特に、言いたくないことは言わずにすまそう…としがちです。
でも、相手が自分にとって大切であればあるほど、避けられない問題ですよね。
出来る限り、相手を傷つけるダメージを最小限に抑え、自分の想いを伝える。
難しいですが、失敗してしまった時(相手がムッとしてしまった時)に逃げずに反省し、次からはどう伝えたらいいか?とキチンと考える癖をつけると、時間はかかりますが、そのうちだんだん出来るようになるように思います。
すると、相手の反応が変わり、人間関係が徐々にうまくいくようになっていきます。
また、人間は「以心伝心」する生き物なので、たとえ言い方を間違えても、根本に「私はあなたのことが大切で、あなたとは常にいい関係でいたい。そのためには、耳が痛いかもしれないけれど、どうしても聞いてほしい…」という真摯な思いがあれば、関係がこじれることはないと思います。
…とか言っててても、また失敗したりするんですが。
とにもかくにも、子どもが0歳なら、親も、同じく親になってから0歳なんですよね(一人目の子どもの場合)。
もちろん、実年齢に応じて出来ることはたくさんあるから、親は自分が育てているつもりだけど、親としての経験、精神年齢的には、子どもの年齢と同じ。
そうやって、子どもと一緒に、人間として成長させてもらっていることを実感しました。
そして、若い頃よりは友達を多く作れるようになってきたクマ子を育てた、ヤギ太の話⁈でございました(;'∀')
尚、別ブログ「クマ子の奈良歩き」の最新記事では、世界遺産・唐招提寺のマニアックゾーンを詳しくご紹介しております。
こちらも、ご興味のある方に読んでいただけると幸いです☟
最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>