クマ子の卒母DIARY

卒母…ちょっと寂しいけれど、明るく楽しく毎日を綴ります

勤めている会社が半年後に閉鎖されることになったらどうしますか?

私クマ子が、約20年間勤めていた会社は、2018年12月末で閉鎖になり、従業員は全員解雇になりました。

その通知が社長からあったのが、およそ半年前でした。

まあ、事業所閉鎖になる2,3年前くらいから、売り上げがどんどん下がっていって、その兆しは有り有りだったんですけどね( ;∀;)

しかしながら、潰れていく会社を目の当たりにする、というめったにない経験をしたので、その様子を書いてみたいと思います。

その会社は、少々ブラック企業の気配がありましたので、あまり一般的な話ではないかもしれませんが、何せ、このご時勢、将来が不安な方も多いと思うので…(-_-;)

ご参考までに…。

 

潰れたのはこんな会社 

私が勤めていた会社は、大手電機メーカーの委託企業、いわば下請けでした。

勤め出した最初の頃、20年前~10年前にかけては羽振りがよくて、地元の零細企業のわりに、正社員50人・契約社員と派遣社員100人くらい、営業所も本社以外に3ケ所ある、まあまあまあな会社でした。

しかし、下請けの悲しさ、大手電機メーカーの方針に振り回され、売り上げが落ち、10年ほど前から徐々に規模が小さくなってゆき、社長から事業所閉鎖通知があった2018年6月ころには、正社員15人・契約社員と派遣社員10人にまで減っていました。

加えて社長には娘しかおらず、会社を大きくして、誰かに継がせる気も全くなく、日々、自分のマネーでの個人投資に夢中で、自分の財産はさんざん稼いだので、赤字になる前に会社を畳みたい…と思っていることが、誰が見てもわかるような有様でした。

また、一代で会社を大きくした創業者だけにワンマンで、キレると解雇したり脅したり…と、少々パワハラちっくなお方でした(;´・ω・)

そんな状況だったので、閉鎖通知をされても別段驚くことはありませんでした。

 

閉鎖通知から最後の日まで 

まず「半年後に会社がなくなるよ」と言われても、その時は目の前に仕事があるし、仕事がある以上、無くなるからと言って、手を抜くことはできません。

実際、最後の日が来るまでは仕事はあるので、なかなか実感が湧きませんでした。

ただ、20代の若い子たちの数人かは、早めに辞めていきました。

探せば、次の仕事が見つかりやすいお年頃ですから。

 

そして、気を揉んだのが、社長がなかなか「会社都合退職にする」と言ってくれなかったことです。

ご存知の方も多いと思いますが、会社都合退職なら、すぐに雇用保険(いわゆる失業保険)がもらえますが、自己都合退職なら、3か月後からしかもらえません(一部例外もあります)。

すぐに次の仕事を見つけられそうにないクマ子世代や、子育て真っ最中世代にとっては、死活問題です。

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そんな中、しびれを切らして、アラフォー世代の社員さん達が辞めていきました。

先の見えない不安の中、子育てや住宅ローンがのしかかってくる世代ですから、働きながら次の仕事を探していたらしく、大変だったと思います。

 

残っているのはまず、20代やアラサー世代の比較的次の仕事を見つけやすい世代の数人です。

次もまた見つかるだろうから、とりあえずは今の仕事がある限りは続けよう…という考えですね。

でも、会社としては、人が減っても新人さんを採用するわけにはいかないので、何人か残ってくれて非常に助かりました。

ではないと、社員だけでは仕事が回らず、かといって残業代も払ってもらえない中、社員全員で、むなしくサービス残業するしかなかったでしょうから。

 

そして残りは、クマ子世代&定年間近世代です。

次の仕事を探しても、給料がだだ下がりの可能性大なので、最後まで残るしかない、どう考えてもその方がトク…という切なさ(>_<)

 

そして遂に、社内の人数が20人を切った10月末ころに「今から辞める人は、みんな会社都合退職にする」というお達しが出ました。

とりあえず、ホッとしました。

 

そんなある日、会社がある地区の、管轄のハローワークの人が慌ててやってきました。

先行して辞めて、ハローワークに離職票を出しに行った子から、ウチの会社が閉鎖になると聞きビックリしたそうです( ゚Д゚)

しかも、ハローワークの人たちを慌てさせたのは、45歳以上の離職予定者が多い…ということでした。

働き先を見つけられない人がたくさん出たら大変!ということなんでしょう。

今後の仕事の探し方・雇用保険受給の申請の仕方などの説明をさせてほしい…と社長に頼みにこられたのです。

 

自分の希望通りの仕事が見つかるかどうかはともかく、ハローワークの人たちはとても親身に相談に乗ってくれますし、出来る限り希望の仕事を見つけられるようにサポートしてくれます。

正直、私もハローワークを利用するまでは、あまりいいイメージはなかったのですが、思いのほか、誠心誠意サポートしていただけたので、その点においては、もしものことがあっても頼れるので安心してくださいと言えます(;^ω^)

 

結局、年内の会社の最後の日まで残ったのは、14人ほどでした。

余ったトイレットペーパーともう捨てるしかないパソコンが希望者に配られ、サヨウナラでした。

いつもなら、健康診断の時期でしたが、そこは端折られ、最後のボーナスは寸志でしたが、本来なら無しでも仕方がないところを、社長が大金持ちのまま閉鎖するおかげでいただけたのだと思っています(;^ω^)

 

ウチの会社は「中退共」に加入していたので、そこからの退職金がちょっとと、会社からは雀の涙ほどの退職金をいただきました。

社員になった頃に見せてもらった社内規定では、もっともらえるはずでしたが、社長が内密に社内規定を年々改定して自分で持っていたので、現時点での規定がどうなっているのかは、誰にもわからない有り様でした"(-""-)"

 

私の感想と他の会社のケース 

私は、一人息子が3歳の時にシングルになってから、ちょうど独り立ちするまで、この会社でお世話になっていました。

社長はいろいろと人間性に問題がある人でしたが、息子が大きくなったのは、ここでいただいたお給料のおかげなので、その点はとても感謝しています。

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しかしながら、休みも少なく(年間97日ほど)残業も多い会社で、働いている間は、やりたいと思っていたことも全部後回しにしてきました。

でも、会社がなくなるとなった時に、自分には何もないことに気づきました…というかずっとわかっていたけれど、仕事をしているから仕方がない、と思っていたのです。

だから、心のどこかでずっと不安でした。

今のご時勢、定年になったからと言ってすぐに十分な年金をもらえるわけでもないし、老後の生活を考えた時に、他の手段を考えるべきだと思い、ずっと仕事を辞めたいと思っていました。

でもその度に「今さら他の会社に行っても、今以上のお給料をもらえるはずがない…そもそも、こんな歳になっていい仕事が見つかるわけがない」と思い、不本意ながら続けるしかない状態でした。

でも今ならわかります。

こんなご時勢だからこそ、たとえ少額でも、収入源を複数持つことは大切です。

そのための努力は、何を置いても出来る間にやっておくべきだと思います。

昔と違って、パソコンとスマホさえあれば起業ができる、自分の趣味を仕事にできるような人もいる時代です。

日々忙しい中で、一日に少しずつでも実行していくことが大切だと思いました。

 

あと、たまたま同じ時期に、全く違う会社で働いていた友人も事業所閉鎖になったと聞き、会って話をしました。

その会社の社長は、必死になって従業員の次の就職先を探してくれていたそうです。

おかげでほとんどの社員が、閉鎖までに行き先が決まったと言っていました。

この辺りは、勤めた会社の環境によりますね。

ただ、ウチもそうでしたが、その友人の会社でも、有給全消化は出来なかった…と言っていました。

閉鎖前はどうしても、人が少ないので休みにくくなります。

代わりの人がいないと休めない点は、通常の会社と何ら変わりません。

 

まとめ

とりあえず、私の会社の場合は「勤めている会社が半年後に閉鎖される通知」を受けてからも、閉鎖の約2か月前以降に辞める人は「会社都合退職」それ以前に辞めた人は「自己都合退職」となりました。

すぐに、雇用保険をもらいたい人は最後の方まで残る方がいいです。

 

その代わり最後まで残った者は、有給全消化はできませんでした。

半面、自己都合退職の人たちは、ほとんど全消化していました。

その間に、次の仕事を探すことも可能だと思います。

 

また、ボーナスに関しては、事務所閉鎖通知のあった2019年6月分が激減、閉鎖直前の12月は寸志…だったので、閉鎖前はほとんどもらえない…と思った方がいいと思います。

 

次回のこのシリーズでは、実際に失業保険でもらえた金額を検証してみたいと思います。

 

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